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仙台高等裁判所 昭和42年(ネ)80号 判決 1968年7月15日

控訴人 佐々木道一

被控訴人 国

訴訟代理人 光広龍夫 外三名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原料決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。

控訴人が原判決添付目録記載の鉱泉地につき温泉権(湯口権)を有することを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張並に証拠関係は、

控訴代理人において、

一、本件係争地の温泉は藩政時代の寛政元年八月一日、控訴人の一二代前の祖先佐々木善造が当時の沼倉村地内に発見し、以来控訴人の先祖がその湯口一坪を所持し持主として進退して来たものであり、藩庁もこれを差止めることなくこれを認めて来たもの、即ち控訴人の先祖が代々総括支配して明治に至つたものである。

二、右鉱泉地一坪は明治初年の地祖改正の官民有区分に当つて官没された形式になつているが、国がこれを没収すべき何らの根拠がないし、控訴人の先祖は依然として総括支配を止めておらないのであるから、民法施行と同時に右土地は控訴人先代の所有に帰したものであり、これを控訴人が昭和七年七月一四日家督相続したものである。

もつとも、本件係争地は控訴人及び先代が明治一八年頃より国から賃借している形式をとつているが、これは控訴人の権利を認めた上での措置であつて、これがために控訴人先代が係争地の権利を放棄したことにはならない。

三、仮に本件係争地が控訴人の所有でないとしても、温泉の湯口権(湧出する温泉を自由に排他的に使用収益し得る権利)は前述の法理及び相続により控訴人がこれを取得したものである。

右湯口権は慣習上の物権であるところ、土地が官民有区分処分によつて官有地に編入された時は該土地に関するすべての他物権が消滅するとの見解もあるけれども、控訴人はこれに賛同することができないものである。

と述べ、

被控訴代理人において、

一、土地の官民有区分処分(地祖改正)と栗駒岳国有林の所有権の確立について、

(1)  明治初年、政府は財政確立の必要から税制の改革に着手し、明治六年三月二五日太政官布告第一一四号「地券発行に付地所の名称区別共更正」(ただし明治七年一一月七日太政官布告第一二〇号をもつて改正)をもつて他所の名称区別(官民有区分)を定め府県に通達した。

(2)  しかして明治六年七月二八日太政官布告第二七二号地祖改正条例及び地祖改正施行規則を制定公布のうえ土地の官民有区分の確立と課祖の対象となる地価の決定の処分がなされた(その手続については明治七年一一月七日太政官達第一四三号をもつて府県に通達)のであるが、山林、原野については、明治八年一二月二七日付地祖改正事務局達乙第一四号「山林原野地祖改正着手ノ件」により改祖に着手したのである。

(3)  この官民有区分によつて官有地とされ、その所有が官(国)であると確認されて本件係争地を含む栗駒岳国有林の所有権が確立したのである。

即ち<証拠省略>「祖税寮改正局別報」によれば、明治七年九月三〇日付の指令によつて、宮城県下の耕宅地(温泉を含む)の地祖処分が精密調査の結果終了したことが明らかであり、また同県下の山林原野の改祖処分については、甲第一七号証の二「地祖改正事務局別報」によれば、明治一〇年六月一日の指令によつて終了していることが明らかである。右甲第一七号証の二の指令は支祖実務上の指針としての作用効力を認められ、改祖手続上法規的な意義をもち官民有区分についての具体的基準ないし準則であつたと解せられる。右指令には「伺之趣聞届候条昨九年ヨリ成規ノ通リ新祖施行可致事」とあることから、本件係争地を含む栗駒岳国有林の所有権確立の時期は明治九年であることが明らかであり、遅くとも右指令の日である明治一〇年六月一日であるといえる。

(4)  しかして、<証拠省略>「宮城県管下陸前磐城両国新旧税額比較表」にも明らかなとおり、宮城県下の官民有区分において温泉の調査もなされているので、控訴人主張のように「その先祖が寛政元年八月一日当時から本件湯口一坪を総括支配していた」との確証が調査当時あつたとすれば、本件係争地については当然民有の処分を得べきところであるが、かかる処分がなされていないところからすれば、控訴人主張のような総括支配即ち所持支配の事実がなかつたというべきである。

二、官林調査について、

(1)  右述の官民有区分と並行して明治政府は水源涵養、国土保全等の公益的見地及び国家収入の確実な財源の確保を図るため明治九年三月五日内務省決議「官林調査仮条例」<証拠省略>に基づき官林の調査を実施し、本件係争地を含む栗駒岳国有林についても、明治一〇年頃この調査がなされたのであるが、この調査は官民有区分と無関係に行われたものではなく、官民有区分の成果を、援用しつつ行つたことは官林調査仮条例が時期的に地祖改正条例(明治六年七月二八日)、改正地所名称区別(明治七年一一月七日)、山林原野地祖改正着手ノ件(明治八年一二月二七日)のいずれよりも後日に制定されていること及び官林調査仮条例第一三条<証拠省略>の規定に照しても明確である。

(2)  この官林調査の結果作成されたのが<証拠省略>(国有森林地籍台帳)及び<証拠省略>「官林図(栗原郡全)」である(官林調査仮条例第四条、第三条による)。

(3)  ところで<証拠省略>の収入欄によれば「温泉場借地料金一円二二銭二厘」及び物産欄に「温泉」と記載されており、これに対比すべき<証拠省略>官林図によれば、新湯温泉、駒ノ湯温泉が官林内に表示されているものの、それは<証拠省略>により「借区」即ち官の貸付地に当ることが容易に判明することから、本件係争地である新湯温泉は官林調査においても民有として扱われていないことが明らかである。

三、内務省の地籍調査について

明治政府は土地官民有区分と併行して官林調査をもなしたこと右のとおりであるが、更に内務省においては、明治一五年に全国の地籍編製を行い地籍の整頓、地図の編製をした(明治九年五月二三日内務省達丙第三五号地籍編成地方官心得書)。この結果本件係争地一帯(沼倉村現栗駒町)についても地箱調査がなされたことは甲第二〇号証(陸前国栗原郡沼倉村地籍図)において明らかなところである。

即ち、右甲第二〇号証中、右下方に黄色の着色に加えて「新湯貸宅地温泉貸地」と黒書きの記載があるが、これが本件係争地であり、同図面の凡例をあわせてみれば、本件係争地は官有地であることが明らかである。

四、自然湯出の温泉の権利について

(1)  本件係争地である新湯温泉は、自然湧出による温泉であるが、温泉が自然湧出泉である場合には、自然物としての温泉に対する私的支配は原則として成立せず、自然湧出泉が支配的であつた明治以前の時期において温泉権は原則として私的支配の対象となり得なかつたものである。

(2)  控訴人は本件係争地が仮りに控訴人の所有でないとしても温泉の湯口権を有する旨主張するけれども、同権利はその湧き口の土地(源泉地)の支配権の存在が前提となるべきであるから、本件源泉地が被控訴人国の所有である以上、控訴人の右主張は理由がない。

と述べた。<証拠省略>

理由

一、控訴人が本件鉱泉地につき昭和三六年六月三日仙台法務局岩ケ崎出張所受付第四号をもつて土地台帳法に基づく鉱泉地登録成の申告し、同日右出張所受付第一、一一七号をもつて右土地につき自己名義の所有権保存登記手続をし、その旨の登記を経由したことは当事者間に争がない。

二、被控訴人は、本件鉱泉地は被控訴人所有の国有地であると主張するのに対し、控訴人はこれを争うので、先づこの点について判断するに、

(一)本件鉱泉地が明治初年に実施された官民有区分処分により附近一帯の土地と共に官有地に編入されたものであつて、栗駒岳国有林の地域内に所在するものであることは当事者間に争がない。

しかして、山林原野官民有区分処分は、明治五年から約一〇年かかつて行われた地租改正事業の一環として、明治七年以後に実施されたものであるが、<証拠省略>「地租改正事務局別報第八六号記載の宮城県伺」によると、宮城県においては、明治一〇年二月中に右の官民有区分処分が終了していることがうかがわれるから、本件鉱泉地を含む附近一帯の土地についての官民有区分処分も、右の期間中になされたものと認められる。

そして明治一八年頃から昭和三六年三月五日まで控訴人の父佐々木道太郎及び控訴人が本件鉱泉地(温泉を含む)及びその附近の土地若干を国から貸付を受け、これを借り受けて来たものであることは原判決認定のとおり(原判決九枚目表一三枚目「成立に争がない……」から一〇枚目裏八行目「……以上のような事実が認められる」までの部分を引用する。ただし九枚目裏五行目に「明治三〇年頃には」とあるを「明治一八年頃から」と訂正し、同一三行目から一四行目にかけて「以後五年ごとに借地期間を更新し」とある部分を削る。)であつて、右事実並に<証拠省略>を総合すると、本件鉱泉地を含む附近一帯の土地が官有地に編入されて以来、国がこれを国有地として管理して来たものであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  控訴人は、本件鉱泉地が右官民有区分処分により官有地に編入されても、控訴人の一二代前の先租が寛政元年八月一日に本件鉱泉地の温泉を発見し、以来先租代々明治に至るまで本件鉱泉地を総括支配して来たものであるから、本件鉱泉地は民法施行と同時に控訴人の先代の所有となつたものである旨主張する。

しかしながら、控訴人の原審並に当審における各本人尋問の結果によるも、本件鉱泉地の温泉が控訴人の一二代前の先租によつて発見され、以来明治に至るまで先租がこれを利用して来たというのも、そのように言い伝えられているというにすぎないのであつて、これを装付ける的確な資料もなく、結局右の事実はこれを確認することができないのであるから、右の事実を前提とする控訴人の主張は理由がないといわねばならない。

のみならず、仮りに控訴人主張のような右の事実があつたとしても、本件鉱泉地が官民有区分処分により官有地に編入せられたものである以上、該土地の所有権は国に帰属するものというべきである。

蓋し、地租改正に関する諸法令によると、土地官民有区分処分は土地に対する人民の慣行上の利用関係を考査し、その状況により民有に帰属せしめるのを相当と認めるに足る証跡のあるものは民有地に編入し、しからざるものを官有地に編入して、もつて官有地と民有地の所有権を確定する処分であるから、官有地に編入された以上、国において該土地の所有権を取得するものと解するのが相当であり、若し、本来民有地に編入さるべくして官有地に編入された場合においても、訴順法(明治二三年法律第一〇五号)又は行政庁の処分に関する行政裁判の件(同年法律第一〇六号)により訴願又は行政裁判によつて該処分が取消され、或は国有土地森林原野下戻法(明治三二年法律第九九号によつて該土地の下戻を受けない限り、官有地に編入された土地に対する国の所有権を争い、私人の権利を主張することは許されないものと解するのが相当であるから、いずれにしても控訴人の右主張は理由がないといわなければならない。

(三)  しからば、本件鉱泉地は国の所有に属するものであつて、控訴人の所有に属するものではないというべきである。

三、控訴人は、本件鉱泉地の温泉は、その主張のように控訴人の先祖が発見し、以来先祖代々これを利用して来たのであるから、本件鉱泉地が官民有区分処分により官有地に編入されても湯口権(湧出する温泉を自由に排他的に使用収益し得る慣習上の物権)は控訴人の先代に属し、従つてそれを相続した控訴人は右の湯口権を有する旨主張するけれども、前述のとおり、本件鉱泉地の温泉が右主張のとおり発見利用されて来たものであることを確認できないのみならず、仮りに本件鉱泉地の温泉が控訴人主張のとおり発見され、支配利用されて来れものとしても、本件鉱泉地が官民有区分処分により国有地となつた後において、前述のとおり、控訴人の父佐々木道太郎が国との貸付契約により明治一八年頃から本件鉱泉地(温泉を含む)及びその附近の若干の土地を国から借受け、右契約に基づいて本件鉱泉地及び温泉を利用して来たのであるから、控訴人の父佐々木道太郎は右貸付契約以後右契約に基づいて本件鉱泉地及び温泉を利用する権利を有したにすぎないものというべく、右契約に基づく権利のほかに、本件温泉について控訴人主張のような物権たる湯口権を有していたものと解することはできない。蓋し、控訴人主張のとおり控訴人の先祖が代々本件温泉を支配し利用して来たものとすれば、右の利用関係とその地盤たる本件鉱泉地が官民有区分処分により国の所有となつた両者の関係を調整する方法として右のような貸付契約がなされたものと解されるからである。

してみれば、控訴人の父佐々木道太郎が本件温泉について控訴人主張のような物権たる湯口権を有していたことを前提とする控訴人の右主張は理由がなく、また本件鉱泉地及び温泉についての国と控訴人との貸付契約も昭和三六年三月五日限り終了しているものであることは前記のとおりであり、従つて以後控訴人は国との契約に基づく温泉利用権も有しないものであることは明らかであるから、本件温泉について湯口権を有することを前提として本件鉱泉地についてなされた保存登記の有効である旨を主張する控訴人の主張は既にその前提において理由がないのみならず、その主張の湯口権の確認を求める控訴人の反訴請求もその理由がないといわなければならない。

四、そうすると、本件鉱泉地についてなされた前記保存登記の抹消を求める被控訴人の本訴は理由があるからこれを認容すべく控訴人の反訴請求は理由がないからこれを棄却すべく、これと同旨の原判決は相当であつて本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条に従い主文のとおり判決する。

(裁判官 村上武 西村法 伊藤和男)

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